みんなで読む哲学入門

Ph.Dが講師の市民講座(上野ゼミ)

ルソー『人間不平等起源論』をめぐる注釈的対話:第1回

「みんなで読む哲学入門」2021年冬期は、上野大樹講師により18世紀フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)の著書『人間不平等起源論』読書会を行っています。今回は、1月18日に行われた第1回(指定範囲「献辞」及び「序文」)の読書会での対話から、同著を読み進めるためのポイントを一部抜粋してご紹介します。講師の解説に即した文献の提示もありますので、今後の学習にご活用下さい。

 

                               文責:上野大樹

 

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ジャン=ジャック・ルソー



 

 

思想書をどのように読むか——コンテクスト主義について


受講者A: ルソーについては名前は知っていましたが、社会契約説とか、教科書的な知識以上のことは知らず、今回がテクストに触れる初めての機会になりました(注:ゼミ形式で『人間不平等起源論』を輪読)。実際に読んでみると、一見とっつきやすそうに見えますが、立ち止まって考えるといろいろ分からない点が出てきます。講座の解説で強調されていた「読者」と「コンテクスト」(文脈)について、あらためて説明お願いできますか。


上野大樹: そうですね。一回あたりにそこそこの分量を読んでいるので、すべて立ち止まって考える余裕はないかもしれませんが、一読して流してしまうようなところに重要なポイントが含まれていることも往々にしてありますよね。

重要そうだが最初は理解できなかったという部分を少しでも読めるようになること、これはもちろん重要です。それに加えて、何となく読み流していた箇所の重要性が浮かび上がってくる、という体験も、哲学的テクストを読んでいくうえでもう一つ重要なことだと思います。その際に、テクストをそこに位置づけるべきコンテクスト(文脈)を押さえていくと、そういった読みができるようになることがあります。


受講者A: コンテクストは、やはり前提知識をいろいろ知っていないと分からないのでしょうか?


上野: ある程度はそういう部分もあると思います。特に近年の思想史・哲学史のメジャーな方法論である「文脈主義(contextualism)」の考え方だと、相当な歴史的背景知識を踏まえないと、テクストを著者が意図したように、あるいは当時(その時間的レンジをどうとるかでまたコンテクストが複数化するのですが)そのテクストが読まれたように、読んで理解することは困難だという部分はあります。

しかし、文脈主義を取るケンブリッジ学派(注:クエンティン・スキナーやジョン・ポーコックが代表格)でも、そうした歴史的(とりわけ思想史的)コンテクストが、テクストを読む上での唯一の正しいコンテクストだと主張されているわけではありません。歴史的にもコンテクストは複数存在します。

そして、ときにそうしたコンテクストを無視したり逸脱したりすることが、思いもしなかった創造的な読解をもたらすことがあります。それはテクストが単に書かれたもの、意味を封印して冷凍保存した静態的(static)なものではなく、言語行為というパフォーマティブなものでもあるからです。そうした創造性は言語という活動のもつ固有の性格です。

 

デリダとルソーと東浩紀


受講者A: どういった哲学者がその点を論じているのでしょうか?


上野: このあたりについては、まずフランスの哲学者ジャック・デリダが「エクリチュール」論として展開しています。デリダハイデガー存在論に触発され、根本的に「差異」を含みこむ人間の「現存在」としてのあり方を検討するなかで、西洋世界に流布したプラトン主義的な「存在」についての見方、究極的な「同一性」にもとづく一元論哲学を批判します。

ルソーとの関係で重要なのは、「差延」概念に代表されるデリダの思想が、第一にルソーの「音声中心主義」と格闘するなかで紡がれていったということです。差延は、以前にお話ししたように、ユークリッド幾何学と対比した場合の「辞書」的秩序を考えるとわかりやすいと思います。いくら定義を遡っても、それ以上遡れない「アルキメデスの点」へと到達することはなく、いつの間にか「循環」してしまうという例の話です。いや、そんなことはなくて、エンサイクロペディア(「百科事典」とふつう訳されます)を基礎づけることができるんだ、という構想が「基礎づけ主義」です。大陸合理論はその傾向が強いとされますが(デカルトのコギト)、イギリス経験論でも、単純観念や第一次性質や直観的理性(コモンセンス)をめぐる議論で共通の問題が同じように論じられています。

 

受講者A: 「辞書/事典を編む」方法も、そういった学問の基礎的方法論とつながっているのですね。


上野: 少し脱線しますが、『百科全書』という啓蒙の知のあり方と「体系」理解をめぐっては、別のところで少しだけお話したことがあります。そちらも文字起こしされる予定ではありますので、気長にお待ちください。

現代思想寄りでいうと、何よりもミシェル・フーコーの『言葉と物』が外せない出発点です。百科全書派のなかでは、ダランベールが基礎づけ主義的な知の体系化と制度化を構想する傾向にはありましたが、あまり図式的に説明すべきではないかもしれません。このあたりは、

 

【文献】 寺田元一「編集知」の世紀――18世紀フランスにおける「市民的公共圏」と『百科全書』』(日本評論社、2003年)。

 

をまずご覧いただくとよいように思います。ダランベールと啓蒙の学知の制度的側面については、非常に本格的な研究書でいきなり全部を読破はできないと思いますが、

 

【文献】 隠岐さや香科学アカデミーと「有用な科学」――フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ』(名古屋大学出版会、2011年)、第4章。

 

という著作があります。


受講者A: 「同一性」というのは、第一回目のゼミで話題になったコミューン的一体感のようなものとも関りがありますか?


上野: ああ、そうですね。エクリチュールではなく音声が、ロマン主義的な透明な同一性を象徴するという点は、話題に出た見田宗介の「コミューン」の理想にも深く関わります。見田宗介の場合は、実存主義で有名なサルトルの後期思想が一つのバックグランドになっていると思います。

こうした音的同一性に仮託された「現前性の形而上学」を批判することがデリダの主眼でしたが、しかしルソーに対しては、単純に諸悪の根源のように捉えているわけではまったくありません。むしろ、ルソーに対するすぐれて内在的な批判を通じてデリダの思想が彫琢されていったという点が重要だと思います。

専門的な研究では、J.スタロバンスキやS.バチコのルソー研究は、そういった視角にもとづいています。


受講者A: 日本語で読める文献としては、どういったものからアプローチするとよいですか?


上野: まずは日本の現代思想という枠組みでいえば、東浩紀デリダ読解、そしてルソー解釈はかなりよい接近方法なのではないかと思っています。思想史研究者は、現代思想の分野を地に足のつかない「浮ついた」遊戯と斜に構えて眺める傾向もありますが(苦笑)、ときにはそういったアプローチが有益なこともあるかと思います。いきなりデリダを読もうとすると、かなりハードルが高くて挫折するかもしれません。。。『精神について』は比較的読みやすいですが。

全般的にいって、いわゆるポストモダン的なフランス現代思想は、教養的知(humanities)を脱構築しようとする強い傾向性があります。フーコーデリダたちは、こういったことをフランスの知的エリートとして涵養した、とてつもない教養と博識にもとづいて遂行するので、やや矛盾しているというかアイロニカルですが(笑)。


これに対して、近年の英語圏の思想史研究は、むしろ「上から」の理論的・普遍的・非歴史的な読解を崩していくうえで、たいへんハイコンテクストな言語ゲームを展開し、そうした歴史的教養に裏打ちされて初めて見えてくる新しい光景を楽しんでいる気配もあります。ある意味、かなりスノビッシュに見えるかもしれません(苦笑)。しかし、普通に読んでいるとあまり気づきませんが、一級のフランス現代思想もじつは、同じように行間を読まなければならないという意味でかなり高負荷なテクストが多いですね。
それと、忘れていましたが、私自身かなり前に雑誌上で、東浩紀の議論をけっこう紙幅を費やして一度論じたことがありました。ゼミ参加者の方といずれクラウド上の共有フォルダなどでそういった原稿のファイルも共有できるようにしたいと思っています。余裕が出てきたらで、少し先の話になるかもしれませんが。

加えてウェブ上では、以前に千葉雅也さん(ドゥルーズ研究)と内田樹さん(レヴィナス研究)の現代思想関係の著作の書評記事を書いているので、そちらもご覧ください。こちらは検索して「京都アカデメイア」のサイトで見つけられるはずです。


【文献】  東浩紀存在論的、郵便的――ジャック・デリダについて』(新潮社、1998年)。
未見ですが、ご本人が同書について解説した動画が最近有料公開されたようです。)
【文献】 東浩紀一般意志2.0――ルソー、フロイト、グーグル』(講談社、2011年)。
【文献】 増田真「起源の探求と社会批判――『人間不平等起源論』を中心に」および「ルソーにおける言語の問題」、桑瀬正二郎(編)『ルソーを学ぶ人のために』(世界思想社、2010年)。
(※ デリダ『グラマトロジーについて』での議論を踏まえ、ルソーの言語観や自然状態論について文学の見地から検討したもの。)

 

コンテクスト主義とアメリ言語哲学

 

受講者A: 話を少し戻して、コンテクスト主義の背景についてお話しいただけますか? 言語は創造的だ、ときに書き手の期待を創造的に裏切る、といったお話がありましたが。


上野: そうでした。一つ目にデリダエクリチュール差延のお話をしましたが、狭い意味でのコンテクスト主義となると、それに直接関連してくるのは、むしろアメリカの言語哲学です。デリダも言語行為論のサールやオースティンと論争しており、結局はつながってくる部分があるのですが。

 

(以下省略)

 

上野大樹(うえの・ひろき)
一橋大学社会学研究科研究員。思想史家。京都大学大学院人間・ 環境学研究科博士後期課程修了。京都大学博士。 日本学術振興会特別研究員DC、同特別研究員PD等を経て現職。 一橋大学立正大学慶應義塾大学にて非常勤講師。 最近の論文に、"Does Adam Smith's moral theory truly stand against Humean utilitarianism?" (KIT Scientific Publishing, 2020), "The French and English models of sociability in the Scottish Enlightenment" (Editions Le Manuscrit, 2020).